中年HSP記
エンパス型HSP(Highly Sensitive Person)でHSS(High Sensation Seeking)な中年男の自省録。※自虐ネタなのでHSPやエンパスに否定的な表現もありますが、HSP全体のことではなく、私個人の事ですのでご容赦ください。
HSP・エンパスの(なんちゃって)歴史考
海外のエンパスの本を読むと、訓練されたエンパスの彼女らは…

不可視のエネルギーをコントロールするイメージワーク、パワーストーンなど鉱物の収集、アロマやハーブの知識、自分や他人に対するヒーリング、風水や占い、(人によっては)死者との交信…このような事をしています。

…これってまるで昔の魔女(Witch)みたい…ではないでしょうか?

反キリスト教の象徴で、イボがある鉤鼻のお婆さん…ではなく、キリスト経以前から「魔術(呪術)、まじない、占い、ハーブ(薬草)などの生薬の技術など(ウィキペディアより)」を行っていて、社会的にもある種の賢者、民間療法的な医者として認知されていた人々です。お産婆さんもしていたようです。魔女と言ってもWitchには女性という意味はなく、男性もいます。

…もしかすると昔のエンパスはこんなだったんじゃないかと想像を膨らませてしまいました。

E.N.アーロンは「HSPは昔、僧侶として政治に関わっていたのではないか」と書いていたと思います。それもうなずけるのですが、政治に関われる僧侶となるとある程度社会的な身分が必要でしょうし、恐らく男性しかできなかったんじゃないかと思います。

大多数の庶民出身(で特に女性)のHSPやエンパスは人々から魔女と呼ばれるようなことをしていたのではないでしょうか?(勿論、勝手な想像です)

家族制度や社会機構に馴染めない人々がその才能を生かして、社会の片隅に居場所を作った…そんな感じがします。

さて日本には魔女はいませんが、そっくりな人々がいます。

巫女です。

占いやまじない、厄除け、神や死者との交信、芸能などを行っています。

魔女の暮らしがどんなものであったのかは詳しく知りません。ただ人里離れた森で集団(カブン?)生活(定住)していたのではないでしょうか?(詳しい方は教えて下さい)

しかし日本の巫女は、一部の神社に仕える少数の巫女の他は、定住せず漂泊する巫女が多いということです。一応、組織はあったようですが、魔女ほど結束の固いものでもなかった感じです。なにしろ歩き回っているのですから。「歩き巫女」という言葉もあります。

巫(ふ、かんなぎ)は「神和(かんな)ぎ」の意(ウィキペディア)。

普通に男性もいたようですが、魔女といい、巫女といい洋の東西を問わず“女”がつくのは面白いと思います。どこか人間の集合意識的なものの中で、魔女・巫女的なあり方は女性性を担っているのかもしれません。

昔日本では家族制度や社会機構に馴染めず、集落を離れ漂泊する人々がいたそうです。

そういった人々は各地を歩きながら占いやまじない、説法と言った宗教活動、演劇(仮面劇や人形劇)、歌謡、曲芸などの芸能活動をして生計を立てていました。

谷川健一『賎民の異神と芸能』によれば「歩く」という行為は、神にせっ付かれて、神を探し求めて歩くことである。「歩く」というのは、ぶらぶら歩くように見えても、その底には神の衝迫のままに「神に追われて」歩くのである。このような「遊行」は殯宮に奉仕する遊部という小集団が組織される遥か以前から、「歩き巫女」に必ずつきまとってきたのである。

…とあります。また、引用の孫引きですが、柳田国男『遊行女婦のこと』には「説明は多分精神病理の側からでも付くのであらうが、兎に角に以前尋常の家庭から離脱して、この種の漂泊生活に入って行った女性には、何か拒むことの出来ない背後の暗示が、働いて居た場合が多いやうである。能の物狂ひの色々の曲にも見える様に、是が他郷の未だ信ぜざる者の間に、新たに自分の立場を見出さうといふことになると、自然に物を語り又歌舞せざるを得なかったものと思はれる。所謂神気の副うた女人は、昔も今も常に饒舌で、又屡々身の耻は省みずに、自分しか知らなかったやうな神秘なる真実を説かうとして居る。」

とあり、芸事が好きだったとか、パフォーマンスが得意だったというようりも、背後に何か宗教的な動機が働いていたようです。

韓国の広大(巫女のような人)は綱渡りのような曲芸でも祈りを捧げ、
「いざ演戯をはじめると、その身は自然界の諸霊とほとんど等しい者となる(野村伸一『巫と芸能者のアジア』)」
とあり、曲芸も単なるパフォーマンスではなく、霊験の表現だったりします。

歌や踊りといった芸能活動も、鎮魂や厄払いといった可視と不可視のモノとの調和をとるための手段だったようで、現在の芸能活動とは意味合いが異なり、宗教的な要素があるようです。

そしてそれは患う人や社会に対してのある種精神的な救済活動だった面もあります。

現代でも沖縄では巫女の素質を持った女性がノイローゼのようになって歩きまわるというのを以前NHKのテレビで見たことがあります。この状態を神ダーリ(巫病)といい、そこから抜け出すには

「自分の霊的な先祖と考えられるツヅ神(ツヅは頭のてっぺんを意味する)を発見し、その指導を受けなければならない(谷川)」

とのことです。そしてユタ(神と人の仲介者)を目指したものの、ツヅ神を発見できずに死んでしまう方もいるそうです。

宗教的動機と言うと大げさですが、ここで私が感じる事は、HSPやエンパスが自我(社会性を司る心理的な器官)におさまりきれない“感性”を持て余し、普通の人々の世界観を受け入れられず、そして家族や社会にも従属できずに自分探しを始めてしまう…そんな感じと似ている気がするのです。

大多数のとは言いませんが、HSPやエンパスの方の中には何か止みがたい衝動に突き動かされて、社会のレールからはみ出し、精神的に彷徨ってしまう方もいるのではないでしょうか? 

私自身はそういう時期がありました。著名な合気道や大東流合気柔術の先生の道場に入ったり、有名な先生のところでヨガをしたり、触れずに相手を飛ばす西野流呼吸法の道場へ行ったりしました。読んだ本は…仏教、儒教、道教、仙道、ヨーガ、魔術、カバラ、ニューエイジ、心理学、超心理学…等など、もう覚えていない位です。一応、自分のなかでそういった巫病の時期は終わったように思いますが、そういった世界に対しては、今でも共感と反感の入り混じった複雑な感情を抱いています。

勿論、自分がそうだったからと言って、他のエンパスやHSPの方がそうだとは言いません。もしかすると中には似たような方もいるかもしれないという事です。

…ところで、また引用の孫引きですが折口信夫の『日本芸能史ノート』には

「日本の国家組織に先立って芸能者には団体があった。その歴史をしらべると、日本の奴隷階級の起源・変化・固定のさまがよく訣る。日本には良民と浮浪民とがある。そのうかれ人が芸人なのである。」

「日本の国家組織がまだ充分に整わない以前に、芸能者の団体がすでにあり、…(谷川)」

ここで言う芸能者とは社会に馴染めず、巫女のように芸能活動をして漂泊していた人達です。巫女のように各地をさまよい歩く人々は社会の起源から存在していたことになります。

何が言いたいかというと、もし魔女や巫女がHSPやエンパスの祖先ならば、私達HSP・エンパスの問題は各自一人一人の問題というだけではなく、未だ解決のつかない歴史的な問題なのかもしれないということです。

巫女たちは畏敬の念とともに賎民としてさげすまれてきました。本を読む限り、安定した幸せな生活を送ったようには思えません。

現代の巫女かもしれない私達は、社会のどこに居場所をみつけ、どのようにしたら無理をせず自然に生きていけるのでしょうか? 

(以上は歴史オンチの私の暴論ですので、広い心で読んでください)
追記

最近、スターホークの『聖魔女術』という本を読みました。現代のウィッチクラフトの本です。その本の中に、グラウンディング、センタリング、悪いエネルギーから自分を守るイメージなどが書かれていました。

今まで、エンパスの本に必ず出てくるグラウンディングとはどういう由来の技法なのだろうと思っていましたが、やはりウィッチクラフト(魔女術)から来ているのかもしれませんね。センタリングや悪いエネルギーを防ぐシールドのイメージも同様です。

日本の巫女の技法も伝わっているといいのですが、秘儀であり、口伝の伝承なので分からないというようなことが書いてありました(谷川健一『賎民の異神と芸能』)。
[2012/11/27 12:01] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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コメント
職業としての巫女や神主ではなく、巫女”的”な人ってたぶん世の中にいっぱいいるんだと思います。

逆に、普通に職業として僧侶やっていてもまるで巫女的な資質がない人も結構いたりして・・・。

一見、近代化と逆行したような意味のない祭礼もどこかでそれをやる人達がいないと世界がダメになる・・・みたいな話を読んだことがあります。今でも身のまわり見てみると結構、意味のないものだらけだし・・・。

実は現代社会も隠れた巫女さんたちの知恵に支えられて、なんとか近代化というものと折り合いをつけているのかもしれない・・・。

そういうものがないと、合理性とか能率主義だけで突っ走って今よりもっと息苦しい世の中になっていたかも・・・。

人間、時には仕事を忘れて休みたい・・・。
よし!山から化け物がくるからそれを退治するという名目で、休んでドンチャン騒ぎしよう!
みたいな感じで祭りができて、その先頭に立って物語づくり(?)をしたのが巫女的な人達かな?

僕も歴史オンチなんでこのへんで。
[2016/01/06 11:54] URL | サトシ #- [ 編集 ]
サトシさんコメントありがとうございます。

私もそう思います。HSPの存在意義のひとつは、社会=世界、ではないという認識を持っていることじゃないかと思います。社会の外側にも自然とか、不思議なこととかがあって、社会とは無関係ではない…と無言のメッセージを発しているのだと思います。

渾敦
[2016/01/07 11:28] URL | #- [ 編集 ]
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