中年HSP記
エンパス型HSP(Highly Sensitive Person)でHSS(High Sensation Seeking)な中年男の自省録。※自虐ネタなのでHSPやエンパスに否定的な表現もありますが、HSP全体のことではなく、私個人の事ですのでご容赦ください。
第二回ヱビスビール記念館 エンパス交流会


11月28日、香美ねこさん主催のお茶会に参加しました。

館内は動画撮影禁止ということだったので、映像はここまでです。

500円でヱビスツアーを申し込むと、案内の女性にヱビスビールの歴史などパネルや模型を見ながら説明してもらえ、最後にヱビスビールと琥珀ヱビスビールの2杯を飲ませてもらいます。ビールの注ぎ方のレクチャーもあります。グラスの管理やビールの注ぎ方が専門的で、泡がとてもクリーミーで、見た目もとてもキレイでした。

記念館の中には、軽食とビールが飲めるテイスティングサロンがあり、そこでビールとツマミを食べながら香美ねこさんといろいろなお話をしました。

ねこさんが描かれたこんなパステル画もいただきました(額縁は合成です)。
パステル1
パステル2

2回目ということもあり、前回よりも深い話ができたように思います。
お話する中、非常に人なつこい面を持ちながらも、人と距離を置かなければならない(境界が保てない)矛盾やつらさなどを感じました。それは私自身の問題でもあり、おそらく多くのエンパスの方がかかえる問題なのではないかと思います。

12月1日(土)は那智子さん主催の年忘れHSP交流会に行って来ます。
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[2012/11/30 12:01] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(2) |
西の魔女が死んだ (新潮文庫)
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(2001/08/01)
梨木 香歩

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魔女の話が出たので、久しぶりにアフェリエイトします。

いじめの為に登校拒否になった女の子が田舎に住む祖母の元にホームステイし、魔女の訓練をするという現代の話です。


オドロオドロシイ魔法などは一切出てきませんが、きっと伝統的な魔女ってこういう感じなのだろうなというリアリティがありました。西の魔女と呼ばれるおばあさんが孫娘に課す集中力の訓練などは、合理的かつ実践的で関心しました。

現実社会の汚さや矛盾と、静かでスピリチュアルな生活の対比や葛藤が描かれていて、オジサンの私が読んでも面白いと感じました。

割合原作に忠実に映画化もされましたが、やはり原作が面白いと思います。

図書館ででもどうぞ。
[2012/11/27 18:40] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(2) |
HSP・エンパスの(なんちゃって)歴史考
海外のエンパスの本を読むと、訓練されたエンパスの彼女らは…

不可視のエネルギーをコントロールするイメージワーク、パワーストーンなど鉱物の収集、アロマやハーブの知識、自分や他人に対するヒーリング、風水や占い、(人によっては)死者との交信…このような事をしています。

…これってまるで昔の魔女(Witch)みたい…ではないでしょうか?

反キリスト教の象徴で、イボがある鉤鼻のお婆さん…ではなく、キリスト経以前から「魔術(呪術)、まじない、占い、ハーブ(薬草)などの生薬の技術など(ウィキペディアより)」を行っていて、社会的にもある種の賢者、民間療法的な医者として認知されていた人々です。お産婆さんもしていたようです。魔女と言ってもWitchには女性という意味はなく、男性もいます。

…もしかすると昔のエンパスはこんなだったんじゃないかと想像を膨らませてしまいました。

E.N.アーロンは「HSPは昔、僧侶として政治に関わっていたのではないか」と書いていたと思います。それもうなずけるのですが、政治に関われる僧侶となるとある程度社会的な身分が必要でしょうし、恐らく男性しかできなかったんじゃないかと思います。

大多数の庶民出身(で特に女性)のHSPやエンパスは人々から魔女と呼ばれるようなことをしていたのではないでしょうか?(勿論、勝手な想像です)

家族制度や社会機構に馴染めない人々がその才能を生かして、社会の片隅に居場所を作った…そんな感じがします。

さて日本には魔女はいませんが、そっくりな人々がいます。

巫女です。

占いやまじない、厄除け、神や死者との交信、芸能などを行っています。

魔女の暮らしがどんなものであったのかは詳しく知りません。ただ人里離れた森で集団(カブン?)生活(定住)していたのではないでしょうか?(詳しい方は教えて下さい)

しかし日本の巫女は、一部の神社に仕える少数の巫女の他は、定住せず漂泊する巫女が多いということです。一応、組織はあったようですが、魔女ほど結束の固いものでもなかった感じです。なにしろ歩き回っているのですから。「歩き巫女」という言葉もあります。

巫(ふ、かんなぎ)は「神和(かんな)ぎ」の意(ウィキペディア)。

普通に男性もいたようですが、魔女といい、巫女といい洋の東西を問わず“女”がつくのは面白いと思います。どこか人間の集合意識的なものの中で、魔女・巫女的なあり方は女性性を担っているのかもしれません。

昔日本では家族制度や社会機構に馴染めず、集落を離れ漂泊する人々がいたそうです。

そういった人々は各地を歩きながら占いやまじない、説法と言った宗教活動、演劇(仮面劇や人形劇)、歌謡、曲芸などの芸能活動をして生計を立てていました。

谷川健一『賎民の異神と芸能』によれば「歩く」という行為は、神にせっ付かれて、神を探し求めて歩くことである。「歩く」というのは、ぶらぶら歩くように見えても、その底には神の衝迫のままに「神に追われて」歩くのである。このような「遊行」は殯宮に奉仕する遊部という小集団が組織される遥か以前から、「歩き巫女」に必ずつきまとってきたのである。

…とあります。また、引用の孫引きですが、柳田国男『遊行女婦のこと』には「説明は多分精神病理の側からでも付くのであらうが、兎に角に以前尋常の家庭から離脱して、この種の漂泊生活に入って行った女性には、何か拒むことの出来ない背後の暗示が、働いて居た場合が多いやうである。能の物狂ひの色々の曲にも見える様に、是が他郷の未だ信ぜざる者の間に、新たに自分の立場を見出さうといふことになると、自然に物を語り又歌舞せざるを得なかったものと思はれる。所謂神気の副うた女人は、昔も今も常に饒舌で、又屡々身の耻は省みずに、自分しか知らなかったやうな神秘なる真実を説かうとして居る。」

とあり、芸事が好きだったとか、パフォーマンスが得意だったというようりも、背後に何か宗教的な動機が働いていたようです。

韓国の広大(巫女のような人)は綱渡りのような曲芸でも祈りを捧げ、
「いざ演戯をはじめると、その身は自然界の諸霊とほとんど等しい者となる(野村伸一『巫と芸能者のアジア』)」
とあり、曲芸も単なるパフォーマンスではなく、霊験の表現だったりします。

歌や踊りといった芸能活動も、鎮魂や厄払いといった可視と不可視のモノとの調和をとるための手段だったようで、現在の芸能活動とは意味合いが異なり、宗教的な要素があるようです。

そしてそれは患う人や社会に対してのある種精神的な救済活動だった面もあります。

現代でも沖縄では巫女の素質を持った女性がノイローゼのようになって歩きまわるというのを以前NHKのテレビで見たことがあります。この状態を神ダーリ(巫病)といい、そこから抜け出すには

「自分の霊的な先祖と考えられるツヅ神(ツヅは頭のてっぺんを意味する)を発見し、その指導を受けなければならない(谷川)」

とのことです。そしてユタ(神と人の仲介者)を目指したものの、ツヅ神を発見できずに死んでしまう方もいるそうです。

宗教的動機と言うと大げさですが、ここで私が感じる事は、HSPやエンパスが自我(社会性を司る心理的な器官)におさまりきれない“感性”を持て余し、普通の人々の世界観を受け入れられず、そして家族や社会にも従属できずに自分探しを始めてしまう…そんな感じと似ている気がするのです。

大多数のとは言いませんが、HSPやエンパスの方の中には何か止みがたい衝動に突き動かされて、社会のレールからはみ出し、精神的に彷徨ってしまう方もいるのではないでしょうか? 

私自身はそういう時期がありました。著名な合気道や大東流合気柔術の先生の道場に入ったり、有名な先生のところでヨガをしたり、触れずに相手を飛ばす西野流呼吸法の道場へ行ったりしました。読んだ本は…仏教、儒教、道教、仙道、ヨーガ、魔術、カバラ、ニューエイジ、心理学、超心理学…等など、もう覚えていない位です。一応、自分のなかでそういった巫病の時期は終わったように思いますが、そういった世界に対しては、今でも共感と反感の入り混じった複雑な感情を抱いています。

勿論、自分がそうだったからと言って、他のエンパスやHSPの方がそうだとは言いません。もしかすると中には似たような方もいるかもしれないという事です。

…ところで、また引用の孫引きですが折口信夫の『日本芸能史ノート』には

「日本の国家組織に先立って芸能者には団体があった。その歴史をしらべると、日本の奴隷階級の起源・変化・固定のさまがよく訣る。日本には良民と浮浪民とがある。そのうかれ人が芸人なのである。」

「日本の国家組織がまだ充分に整わない以前に、芸能者の団体がすでにあり、…(谷川)」

ここで言う芸能者とは社会に馴染めず、巫女のように芸能活動をして漂泊していた人達です。巫女のように各地をさまよい歩く人々は社会の起源から存在していたことになります。

何が言いたいかというと、もし魔女や巫女がHSPやエンパスの祖先ならば、私達HSP・エンパスの問題は各自一人一人の問題というだけではなく、未だ解決のつかない歴史的な問題なのかもしれないということです。

巫女たちは畏敬の念とともに賎民としてさげすまれてきました。本を読む限り、安定した幸せな生活を送ったようには思えません。

現代の巫女かもしれない私達は、社会のどこに居場所をみつけ、どのようにしたら無理をせず自然に生きていけるのでしょうか? 

(以上は歴史オンチの私の暴論ですので、広い心で読んでください)
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[2012/11/27 12:01] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(2) |
エンパス同士の付き合い方
大そうなタイトルをつけてしまいました。

100人位エンパスの方に会っていれば、胸を張ってこうですと言えるかもしれませんが、私があったエンパスの方はわずかにお二人。他はメールをやりとりした方がお一人。あとはブログやmixiの日記を読ませてもらたりするだけです。

ですので少ない経験と知識から得た“感触”として読んでいただければさいわいです。私自身の失敗から得た教訓も含まれています。

1.上から目線で物を言わない。

エンパスは、社会的な役割としての上下関係は受け入れるものの、根っこには「世界はひとつ、人間皆平等」というセンスがあるように思います。なので互いの関係のいかんに関わらず、上から目線の態度は生理的な嫌悪感を抱かせるかもしれません。

エンパスがやけに丁寧な態度をとったとしても、それを“下手に出ている”と勘違いしてはいけません。たぶん誰に対しても同じような態度をとっていると思います。…なので「仕方ない、それじゃあひとつ教えてやろうか」的な尊大な態度は慎むべきです。相手には薄っぺらい人間と判断されますし、下手をすると反撃されるおそれもあります。


2.相手の言う事を否定しない。

エンパスだからと言って、みな同じ考えを持っているわけではありません。私も含め、それぞれがトンデモナイ考えを抱いていることがあります。

しかしその考えを打ち明けられた時は、同意しないまでも“受け入れる”べきです。

その考えに一般性はないかもしれませんし、全くわからない場合もあるかもしれません。なぜなら、そのような事柄は話し手の人生の文脈でしか理解できないものだったりするからです。

ですからその考えを否定することは、間接的に相手の人生を否定することになる場合があります。やんわりとたしなめたつもりでも、相手は静かに去っていくかもしれません。


3.相手のパーソナルスペースは確保する。

エンパスは人との関係が良好でも“自分一人の時間と空間”が必要です。それを侵害するような付き合いは生理的な拒否感をいだかせます。

頻繁すぎる連絡、長電話、心理的な依存、不意の訪問、負担のかかるお願い事…このような事は控えた方がいいかもしれません。エンパスは人付き合いに様々な配慮をするため、時間と精神的労力を使います。相手のペースを気遣いましょう。

…もっとも私が交流したエンパスの方々はこのような配慮をされていたので、わざわざ言うことでもないのかもしれません。

また、自分の理解者がいると思って心理的な距離を急に縮めると、相手は“ビビッて引いて”しまうかもしれません。ある程度の間合いが必要かと思います。相手が非エンパスならば、相手と自分との違いから心理的な間合いがとれるのですが、エンパス同士は性質が似ている為にかえって難しいところなのかもしれません。

相手も自分と同じように繊細なのです。これは年齢や社会的な経験ではどうする事もできない器質です。

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そもそもエンパスはあまり緊密な関係を好まない気がします。どこか猫っぽいのかもしれません。

こう書くとエンパス同士よそよそしい関係しか作りにくいと思われるかもしれませんが、この淡い交わりがエンパスには安心できる付き合い方なのではないでしょうか? それぞれがお互い自分の境界や考え、資質を確保できる距離感なのだと思います。

無理をせずごく自然に付き合えば、心配することはないと思います。自己開示したり、相手の内面を見つめる必要もありません。短時間でも一緒にいれば結構相手のことは分かるし、自分のことも相手に分かられているからです。また、相手の気遣いはよく理解できますし、こちらの気遣いも相手に伝わっています。

そして、いつの間にか楽に話している自分がいます。

相手は良くも悪くも“笑っちゃうくらい自分”だったりしますから…。私にはエンパス交流会に行くことは、鏡に映った自分を見に行くことのような気がします(2回しか行ってませんが…)。

これはエンパスに限らないかもしれませんが、人間関係そのものを気にするよりも、仕事や趣味などを話題にする方がいいかもしれません。

なぜか結構同じような趣味を持っていたりしますから…。

何だか偉そうな事を書いてしまいましたが、なにしろ私自身の経験値が低すぎるので、機会があればもっとエンパスやHSPの方とお会いしようと思っています。

12月1日(土)千葉県の新浦安で開かれる年忘れHSP交流会に参加する予定です。

また仕事の都合がつけば、来週28日、東京恵比寿で行われる香美ねこさん主催の第二回ヱビスビール記念館オフ会に参加したいと思っています。

[2012/11/23 17:16] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(2) |
感情が伝わらない人

エンパスの感情は伝わりにくいんじゃないかと思います。

感情を察知するのは得意なのに、皮肉な話ですね。

どんなに表現を的確にし論理的に話しても、何だか人に伝わらない原因の一端は“感情の伝達力の弱さ”にあるんじゃないかと思います。

人は話の論理性と同時に相手の感情を汲んでいます。エンパスほど敏感で意識的ではないにしろ…です。話の内容が分からなくても、相手の気持ちを汲んで「分かった」と言う事もあります。

しかし、エンパスの感情は普通の人には届かないかもしれません。

どうしてエンパスは人に感情を伝えにくいのか? 

理由は分かりません。

強い感情を発すると、自分自身が混乱してしまうから抑制するようになったのか? 

もともと人とのコミュニケーションに強い感情をぶつけ合う必要がないので、感情を伝達する力が退化したのか?

この点、エンパス同士では問題ありません。

エンパス交流会では、相手のエンパスの方から強い感情を感じることはありませんでしたが、言いたいことは充分に分かりました。

感情を話し声に例えると、その位の声量がちょうどいいという感じです。うるさくもなく、聞き取れない訳でもありません。

私の感情もエンパスの方はちゃんと汲み取ってくれました。

だから私にはとても普通で、自然なコミュニケーションと感じました。(いつもこうだったら楽なのに…)

かえって普通の人に対しては、どうしてそんなに大声で話す(強い感情を出す)必要があるのだろうといつも思います。

…ところで、エンパスは感情が伝わりにくいために、自衛的な手段として言葉の表現自体が“キツく”なる事があるかもしれません。

言葉がキツいから性格もキツいと誤解されやすいかも…でも、そうしないと“イヤ!”が相手に伝わらないからです。普通にイヤと言っても、非エンパスには「言葉ではああ言っているが、そうでもないようだ…」と勘違いされてしまいます。

感情と違う事を言うのはエンパスは苦手だと思います。裏腹な事を言っているとはっきりと“自覚”してしまい、うしろめたくなるからです。だから言葉はなるべく言葉通りに受け取って欲しいところです。

それから“キレた”エンパスは結構怖いかもしれません。普通の人の怒りの感情とは違うエネルギーが噴出するからです。逆ギレや言い訳は通用しないでしょう。コミュニケーションが可能な怒りではないからです。

…そんな時は御魂が鎮まるまで、誠実に謝る他はありません。


[2012/11/20 15:17] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(8) |
荷物を負いたがる人
エンパスは他人志向というか、すぐに人助けをしたくなるタチのようです。

どこかおせっかいで、人のイイところがあります。

私にもどこかそんなところがあるのですが、自分にできる事とできない事は意識するようにしています。

もちろん、できると思っていた事がそうでもなかったり、苦手と思っている事が案外、人に喜ばれたりすることはあります。

そういう経験は大切にします。

ドラッカーは“思いがけない”成功や失敗こそ自分と社会を知る機会だと言います。そういう時こそ“なぜ”とじっくり考えます。そこに自分の驚くべき“思い違い”があるからです。たぶん自己分析や社会調査では分からない、自分と社会の本当の関係がそこにあったりします。

それと例え間違った基準でも、ないよりあった方がましです。

何もないと人の状況に合わせて行き当たりばったりで“何とかしよう”と考えてしまいます。

で、結局何もできないまま、相手に期待させた分がっかりさせて…。そうなると自己嫌悪に陥るだけで何も得るものがありません。混乱してしまい、何がいけなかったにも考えが及びません。

自分には何ができ、どう人の役に立てるのか…。人と接しながら見つけていければと思います。

それから…

助けられない人は見るのもツラい…。だから完全に縁を切ってしまう。そんな自分をいつも冷酷だと思っていました。

でもそんな人達をどこかで静かに気にすることが、社会とのキズナを持つことなのかもしれないと、この歳になって感じています。
[2012/11/16 12:01] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(6) |
小さなエンパス交流会
昨日、小さなエンパス交流会をしました。前回とは違うエンパスの方です。

喫茶店でお話しましたが、時間のたつのが早く感じました。

エンパス交流会をすると言ったら奥さんは「私の方がよっぽどHSPだよ。だって知らない人といきなり会えないもの」と言ってましたが、実はエンパスは根は気さくで、結構饒舌なのかもしれません。普段は人と話が通じにくいので黙り込んだりしてしまいますが、気の合うエンパス同士だと女子会のように話が弾みます(私は男ですけど)。まるで母語のまま話せる感じで、理解してもらおうと頭の中で翻訳しなくてもすみ、思いついたまま話をしても会話が完全に成立します。普通に話が通じるっていいものですね、ちょっと不思議ですけど…。私は非エンパスの方と話す時は自分の話すタイミングがつかめずにもっぱら聞き役に回ることが多いのですが、エンパス交流会では自分でも結構しゃべっていました。

お話したのは…自分の感受性の特徴とそれにどう振り回されてしまうのか…仕事の悩み…家族との関係…スピリチュアルなものへの関心…などです。話題も日頃自分が問題としていることなので、話がはずみました。

エンパス同士なので共通していることが多いのですが、一人一人の能力はかなり個性的という印象を持ちました。前回お会いしたエンパスの方は直観力がすごかったのですが、今回のエンパスの方は知的な能力、特に全体を同時に認知する能力や、言葉を頭に蓄積する能力(ワーキングメモリー)が非常に高い方でした。

時間をかけて狭い範囲を細かく見る私とは真逆です。

私は、その能力を活かせる仕事が何かあるんじゃないかとずっと考えてしまいました。この前エンパスの方に会った時も思ったのですが、これほどの素質があり、仕事に対する熱意もあって、人に対する気遣いも優秀な営業マン並なのに、どうして仕事で悩みを抱えてしまうのだろうという印象を強く持ちました。

エンパスの方と話しているとかえって自分の個性が見えてくる気がします。非エンパスの方と会話をしていると自分との違いが多すぎて、かえって自分の個性や資質がよく分からないのですが、エンパス同士だと似ているからこそ違いも分かるのかもしれません。

お会いした方々は、私にはマネのできない“異能の人”でしたが、お二人も私の資質を評価してくださいました。

それぞれ脳の特異な部分が強く活動していて、すごい能力を持ちながらもそれに振り回せれているのかもしれません。

“共感力”と一言でいっても、実はいろいろなタイプの共感力があるように思いました。あるエンパスにとっては何でもない状況が他のエンパスにとっては苦痛で仕方ないということもありそうです。人に対する共感も、その人のどの部分に共感が強く働くのかはエンパスによって違うのかもしれません。確かローズ・ローズトゥリーの「エンパシー」にもそう書いてありましたが、実感しました。

ただやはり、敏感するぎる感性に振り回される事、適職を見つける難しさ、家族との関係…これらは多くのエンパスにとって共通の問題なのかもしれないと思いました。
[2012/11/13 13:37] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(0) |
分かり合えない人
人のコミュニケーションは理解ではなく、誤解によって成り立っているのではないかと思います。

同じ事を言っているのに、相手の考えを批判したり…。全く異なる意見なのに賛同しあったり…。私自身も含めてですが、結局、人は自分が理解したいように理解し、見たいように見ているだけなのかもしれません。しかし、そういう事を気にしていると社会生活ができなくなるのでそんな物だと考えるべきなのかもしれません。

小学生の時、先生も含めクラスの全員が『大草原の小さな家』を見て感動しているのに、私が裏番組の新日本プロレスを見ていると言ったとき、教室中から冷たい視線を集めたことを覚えています。「ボ、ボク、そ、そんなにいけないことをしているんだろうか…?」と思いました。今の小学生は他の子がどんなテレビ番組を見ようと気にしないでしょうが。『大草原の小さな家』に出てくる家族愛がどこか自分にはピンとこなかったんだと思います。

近藤真彦と同じ歳の私は、リアルタイムで金八先生と同じ中学時代を過ごしましたが、同級生のように金八先生に感動も出来ず、自らの卒業式でも全く泣くことができない自分を、やっぱりどこか欠落した人間なのだと思いました。

そう…どこか家族愛や友情を信じられずにいたんですね。そんな事より一人で考えていたかった…。

歳をとった今になって友情や家族愛の大切さがようやく分かりかけている愚か者でもあります。
[2012/11/09 12:01] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(2) |
トミーリージョーンズ
先日のエンパス交流会で「私、宇宙人って言われます」と相手の方がおっしゃっていたのを聞き、そういえば自分も中学生の時にそう言われた事を思い出しました。

自分のどのあたりが宇宙人っぽいのかは分かりませんでした。

まあ、当事は宇宙人やネッシーがよくテレビで特集されていた時代でしたから、そういう想像力が働いたのかもしれません。。

そういえば最近、そういう番組なくなりましたね。あってもバラエティっぽくなってUFOや超能力などの不思議現象を語る人を笑う…みたいになってきました。人は昔から民話などでも語ってきたのですから、人の社会にはどこか不思議な事が必要なものなんじゃないでしょうか? 例えば理解できないもの、普通じゃないものを社会に受け入れる余地を持つとか、不思議に対する憧憬が社会を進歩させるとか、目に見えるもの、理解できるものが全てじゃないと考えることには意味があると思うんですが…。

こどもは不思議な話、結構好きです。うちの娘も『トイレの花子さん』とかよく読んでいました。学校の七不思議とかも教えてくれました。それで一人でトイレに行けないとか、お風呂に入れないとか言っているので困ったものですが…。

ハロウィンの夜は家族みんなでラーメンを食べながら『コララインとボタンの魔女』のDVDを見てキャーキャー言ってました。私は基本的にはホラー映画嫌いなんですが、みんなで見ると楽しいと思いました。

私は不思議な事が世の中にはあるって思う方が精神衛生上いいと思います。まあ、カルトや霊感商法みたいなのは困りますが、素朴な不思議が世の中から無くなると“不思議くん”な私は棲息しずらい気がします(妖怪でしょうか私は?)。

トミー・リー・ジョーンズはスッカリ宇宙人のイメージついてますね。BOSSでもソフトバンクでもよくああいうCM出てくれると思います。大の親日家だそうです。
[2012/11/06 12:01] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(0) |
エンパス交流会
先日、仕事と家の用事に都合をつけ、ようやく念願のエンパス交流会に参加しました。数時間でしたが、とても有意義な体験でした。

お会いするまでは結構不安でした。しかし、お会いすると初対面なのに話し易い感じがしましたし、打ち解けると、親戚に合ったような懐かしさを感じました。

まず、相手の方は外見ではエンパスであると分かりませんでした。これは相手の方も私がエンパスであるとは全く分からないとおっしゃっていました。

ただ人に対する心遣いが細やかなので、ああ、やっぱりエンパスなんだと感じました。そんなに気を遣わなくても大丈夫な人(お店の店員さん等)に対し、とても気遣いされているのを見受けました。また普通なら、聞き流してしまうような言葉のハシでも、きっちり汲み取ってくれるところに気遣いを感じました。

話がはずむと、私も人には話せないな~というような事も話していました。そんな話もまったく普通の事の様に受け止めていただき、つい色々と長話をしてしまいました。お酒も入ったので、より打ち解けやすくなりました。

話していると、相手の方にどこか自分自身を見ているような感じがしました。これはエンパスという資質が同じからなのか、相手の方が無意識に私の気質を反映しているからなのか…多分、両方だと思います。おそらくエンパスは誰にでも同じように接しているつもりでも、同調して相手の気質を反映させているようです。

話をしていて不思議なのは、たとえツライ体験を話されている時でも、普通の人のようにツライ感情を発しない事です。エンパスは自分の感情を表に出さないのかもしれません。たぶん無意識にそうしているのでしょう。

私自身もきっと感情を伴わない話をしているのだと思いますが、他の方がそういうふうにされているのはとっても不思議でした。ただ私にはとても楽でした。きっと、感情を読まなくてすむからだと思います。

エンパスの私には感情を抑えた会話は奥ゆかしく、非常に好感が持てますが、非エンパスには異質に感じるかもしれません。

お会いしたエンパスの方はとても暖かく、繊細で、人をサポートしようという思いが伝わりました。情感の人なのかもしれません。いろいろと細やかな心遣いをしていただきましたが、優れた直観力で私を見抜いていた上でのことのように感じます。

また都合がつけば、エンパス交流会に是非参加したいです。
本を読むよりもずっとエンパスに対する理解が深まったと思います。
[2012/11/03 12:01] | エンパス道 | トラックバック(0) | コメント(3) |
エンパスパイ2

私は毎日、同じような日々を送っているので、自分自身のネタがなくなってきたようです。

「エンパスパイ」=エンパスではありません。
多分、私の分身なんだと思います。もしマンガが気に障っても大目に見てください。
[2012/11/02 15:24] | 4コマ漫画 | トラックバック(0) | コメント(12) |
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Author:渾敦(こんとん)
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